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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)8996号 判決 1990年6月25日

原告

金子一郎

右法定代理人親権者

金子泰治

同母

金子好子

右訴訟代理人弁護士

弓仲忠昭

鳴尾節夫

大森浩一

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

田中庸夫

外四名

主文

一  被告は、原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和六一年九月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

ただし、被告が金三〇万円の担保を供するときは、前項の仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六一年九月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  被告敗訴の場合は、担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

原告は昭和六一年九月当時、葛飾区立葛美中学校の一年生であった者であり、被告は普通地方公共団体であって警視庁を設置しこれを管理運営する者である。

2  (警察官の不法行為)

(一) 原告は、昭和六一年九月七日午前一〇時四五分ころ、東京都葛飾区<住所略>都営住宅五号棟三階階段踊り場(以下「本件踊り場」という。)付近にて、一一〇番指令を受けて駆け付けた警視庁亀有警察署(以下「亀有署」という。)所属の警察官らに、窃盗事件の見張りをしていたという事実無根の嫌疑を掛けられ、右事件について職務質問を受けた。

(二) その際、原告は、見張りをしていた事実を否定し、精一杯応答したのであるが、原告がうなずいていて答えられない状態の時に右応答を心良しとしない亀有署所属の訴外N巡査長(以下「N巡査長」という。)に左側頭部を手拳で二回強く殴られた。

(三) 本件踊り場での事情聴取の後、原告は、明確な同意を与えていないにもかかわらず、右警察官らに事実上身柄を拘束され、亀有署まで強制連行された。

(四) 原告は、亀有署においてもさらに取調べを受けたが、右取調べに際し、同署防犯課少年係の氏名不祥の警察官(以下「本件氏名不祥の警察官」という。)に左頬部を手拳にて二回殴られ、かつ右取調べの過程で、両手一〇本の指全部の指紋を採取され、靴型も採られた。

(五) 原告は、亀有署の警察官による右一連の違法行為によって精神的恐怖と屈辱を受けたばかりか、右本件踊り場におけるN巡査長及び亀有署内における本件氏名不祥の警察官の各暴行により、一週間の加療を要する頭部・左頬部打撲傷の傷害を負った。

3  (被告の責任)

N巡査長及び本件氏名不祥の警察官を含む亀有署所属の各警察官(以下「本件警察官ら」という。)は、いずれも被告に任用されている地方公務員であるところ、右両警察官による暴行傷害を含む本件警察官らの原告に対する違法行為は、いずれも右警察官らが防犯・捜査活動という公権力の行使としての職務を執行するについてなされた故意による加害行為であるから、被告は、国家賠償法一条一項により、原告に生じた損害を賠償すべき義務がある。

4  (損害)

原告は、N巡査長らにより、窃盗犯の見張りをしていたとの事実無根の嫌疑で暴行を受けたうえ、亀有署まで強制連行され、さらに右警察署内における取調べ中にも重ねて暴行を受けた結果前記傷害を負ったものであって、本件警察官らの右違法行為によって当時中学校一年生であった原告の受けた精神的恐怖、苦悩、屈辱及び肉体的苦痛は筆舌に尽くし難いものがある。この精神的及び肉体的苦痛を慰謝するには、少なくとも金一〇〇万円を要する。

5  よって、原告は被告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する前記違法行為のあった日である昭和六一年九月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2(一)  同2(一)のうち、昭和六一年九月七日午前一一時三〇分ころ(午前一〇時四五分ころではない。)、一一〇番指令を受けて駆け付けた亀有署の警察官らが、本件踊り場付近で窃盗被疑事件の見張りをしていたか否かについて原告に職務質問をしたことは認め、その余は否認する。

(二)  同2(二)は否認する。

(三)  同2(三)のうち、右警察官らが、原告を亀有署まで同行したことは認め、その余は否認する。右は、原告の同意を得た任意同行であって、強制連行ではなく、また、右警察官らが原告の身柄を拘束した事実もない。

(四)  同2(四)及び(五)のうち、亀有署において同署の警察官らが原告から事情聴取したことは認め(ただし、取調べではない。)、その余はいずれも否認する。

3  同3ないし5はいずれも争う。

三  被告の主張

1  原告を職務質問した状況

(一) 昭和六一年九月七日午前一〇時五五分ころ、亀有署警ら課警ら第三係巡査長訴外B(以下「B巡査長」という。)及び同巡査訴外C(以下「C巡査」という。)の両名は、警ら用無線自動車(以下「本件パトカー」という。)に乗務して管内を警ら中、警視庁通信指令本部から、「葛飾区<住所略>の都営住宅(以下「本件都営住宅」という。)五号棟三〇六号訴外千葉智恵子方(以下「本件被害者宅」という。)から不審者が逃走したので急行し調査せよ。」との一一〇番指令(以下「本件一一〇番指令」という。)を受け、直ちに現場に急行し、同じく右一一〇番通報を傍受し現場に到着した同署警ら第四係巡査長訴外D(以下「D巡査長」という。)とともに、通報者である千葉智恵子及び同人の子供で当時八才の訴外千葉由郁梨(以下「由郁梨」という。)から事情聴取した。

(二) その結果、右被害者宅で由郁梨が留守番をしていたところに「隣のお兄ちゃん」が入って来て、バッグ及びタンスの中を物色したので、由郁梨が駄目といって泣き叫んだら右少年は逃げて行ったことが判明したので、B巡査長らは、窃盗未遂被疑事件と認め(以下「本件窃盗未遂被疑事件」という。)、由郁梨を伴い、被疑者の捜索を始めた。

(三) 同人らが被害者宅のある本件都営住宅五号棟一階まで降りたところ、由郁梨が、同棟三階廊下からおもちゃの銃を所持し下を見ていた少年(以下「A少年」という。)を指差し、被害者宅に入ってきたのは右少年である旨申立てたので、B巡査長らは、同棟三階の被害者宅前に戻り、A少年に同宅に侵入した事実の有無を質問した。A少年は、「僕じゃありません。嘘だと思うんなら金子君(原告)に聞いてください。」旨申し立て、近くにいた原告を連れて来た。

(四) そこで、同巡査らは、原告に事情を質問したところ、原告は、A少年と釣りに行く約束で同棟まで来たが、同少年にここにいるように言われて外を見ていたこと、すると突然女の子の泣き声がしてどこの部屋からかは分からないがA少年が飛び出して来た旨申し述べたので、同巡査らは本件窃盗未遂被疑事件がA少年によって行われた疑いを強め、亀有署の少年係員の応援を要請した。

(五) 同日午前一一時三〇分ころ、亀有署防犯課少年係巡査部長訴外E(以下「E巡査部長」という。)とN巡査長の両名が現場に到着し、B巡査長らに事件の説明を受けた後、本件踊り場において、E巡査部長がA少年に、N巡査長が原告にそれぞれ質問した結果、同巡査部長らは、本件窃盗未遂被疑事件がA少年の犯行であり原告が右事件に加担したものと思料し、更に質問を継続する必要性があると認めたが、付近には二、三〇名の者が集まって右質問の状況を見ていたことから、これ以上現場において質問を続けるのは少年の健全育成上好ましくないと判断し、A少年についてはその場にいた同少年の母親の承諾を得て、また、原告についてはその時点で保護者等の連絡先が判明しなかったため、原告の同意を得て、同巡査部長らが同乗してきたライトバン(パトカーではない。)(以下「本件ライトバン」という。)に原告らを乗車させ、亀有署に任意同行した。

2  亀有署における事情聴取の状況

(一) E巡査部長らは、原告らを亀有署少年係補導室に別々に案内し、同人らに対して、住所、氏名、生年月日、学校及び当日行ったこと等を手記として記載するように説明した。

(二) その後、同巡査部長らは、同署刑事課盗犯捜査係の巡査らとともに手記を書き終えたA少年から本件窃盗未遂被疑事件や別件の窃盗被疑事件に関し事情を聴取するかたわら、時折原告のいる補導室に赴き、手記の進行状況を確認するなどしていたところ、原告は、同日午後一時ころ手記を書き終えた。

(三) 原告からの事情聴取の結果、原告が本件窃盗未遂被疑事件の共犯者と認めるに足らなかったことから、A少年の捜査結果を待って必要があれば再調査することとし、同日午後一時三〇分ころ、同巡査部長は原告からの事情聴取を打ち切り、同日午後二時ころ、電話連絡により来署した原告の法定代理人親権者母金子好子(以下「好子」という。)に対し、本件取扱いの一連の経過を説明したうえ、原告を引き渡した。

3  以上のとおり、本件警察官らの職務質問、任意同行及び事情聴取にはなんら違法な点がなく、また、この間原告に対し暴行を加えた事実もないから、原告の本訴請求は失当である。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張のうち、原告が本件踊り場において警察官の職務質問を受けたこと、その後、警察の自動車で亀有署に行ったこと(ただし、任意同行ではない。)、亀有署で手記を書かされたこと、電話連絡を受けて好子が同署に赴き、原告の引渡しを受けたことは認め、その余は不知ないし否認する。

2  当時一三才で、もともと内気な少年であった原告は、複数の警察官に囲まれて、身に覚えなき冤罪の嫌疑で執拗な職務質問を受けたうえ、突然左側頭部を殴打され大変畏怖し、恐ろしさの余り警察官らの指示に全く逆らえない精神状態に置かれた。かかる状況下で原告は、複数の警察官に後ろから密着監視されながら、階下に停車中の警察の自動車まで連れて行かれ、少なくとも五名の警察官が原告らを監視している状況下で、全く逆らえないまま同自動車で亀有署まで連行されたばかりか、亀有署内の取調べでも左頬部を警察官に殴打され、さらに指紋や靴型まで採取されるという屈辱を受けたものであって、原告に対する本件警察官らのこれらの行為は職務を行うについての故意による加害行為である。

第三  証拠<省略>

理由

一本件警察官らによる不法行為について

昭和六一年九月七日、当時葛飾区立葛美中学校の一年生であった原告が、千葉宅の窃盗未遂被疑事件の共犯の疑いを受け、本件都営住宅五号棟の三階踊り場(本件踊り場)付近において警視庁亀有署所属の警察官らから職務質問を受け、その後警察官の自動車に同乗して亀有署に行き、同署においてさらに事情聴取ないし取調べを受けた経過の概略については、当事者間に争いがない。

右の事実と、<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

1  本件に至る経緯

(一)  昭和六一年九月七日、その日は日曜日であったので、原告は本件都営住宅七号棟の自宅でテレビを見ていたところ、同日午前一〇時ころ、小学校時代からの友人で同じ本件都営住宅内に居住するA少年から電話で遊びの勧誘を受け、近くにある水元公園に釣りに行くことになり、まもなく、自宅まで迎えにきたA少年と一緒に外出した。そして、まず同都営住宅五号棟三階三〇七号のA少年の自宅に寄るため一緒に同棟に向ったが、途中A少年が先に小走りに同棟内に入り、東階段を昇って行ったので、原告も遅れて東階段を三階まで昇った。しかし、A少年の姿が見えないので自宅に戻ったものと思い、同階のA少年宅前の廊下で外を見ながらしばらく同人を待っていたところ、同階三〇六号の本件被害者宅において本件窃盗未遂被疑事件が発生した。

(二)  一方、同日午前一〇時五五分ころ、本件パトカーで管内を警ら中の亀有署警ら課警ら第三係のB巡査長及びC巡査の両名は、警視庁通信指令本部から、本件都営住宅五号棟三〇六号の千葉智恵子方から不審者が逃走、調査せよとの本件一一〇番指令を受け、直ちに現場に急行して同日午前一一時ころには右現場に到着し、原動機付自転車で管内を警ら中に同じく右一一〇番指令を傍受して現場に急行してきた同署警ら課警ら第四係のD巡査長とともに、本件被害者宅において、一一〇番通報者である千葉智恵子及びその娘の由郁梨から事情を聴取した。その結果、同日午前一〇時三〇分ころ、由郁梨が一人で留守番していたところ、「隣のお兄ちゃん」(A少年)が入って来て、お母さんに頼まれたと言って箪笥の引出しやハンドバックの中を物色し始めたので、由郁梨が駄目と言って泣き出したら、右少年がなにも盗らずに逃げ出したこと、右少年のそのときの服装は、青色の半袖シャツに青色の半ズボンであったことが判明し、また被害者宅室内の小引出しが引き出され、封筒などが付近に散乱していた状況が確認された。

(三)  そこで、B巡査長は、右事件を窃盗未遂被疑事件と認め、直ちに被害者宅の隣のA少年方に行って少年の所在を確認したところ、家人が「外で遊んでいる」旨申し述べたので、同巡査長とD巡査長は由郁梨を伴って右少年を捜索に出た(C巡査は現場保存のため被害者宅に留まった。)。右三人は少年を捜索しながら同棟一階に降り、B巡査長は無線で事件の状況等を警視庁指令本部に連絡するなどしていたが、その間、由郁梨がD巡査長に対して、同棟三階でおもちゃの拳銃を持っているA少年(白っぽい服装)を指差し、「服装は違っているけれどもあのお兄ちゃんに間違いない。」旨申し述べたので、三人はまた同棟三階に戻った。

(四)  A少年は同棟三階の被害者宅の前付近にいたので、D巡査長がA少年に対し、「君がこの部屋に入ったのか。」と尋ねたところ、同少年は「僕は入っていない。友達と釣りに行く約束でここまで来たら女の子の泣き声がしていた。嘘だと思うんだったら金子君(原告)に聞いてくれ。」と申し述べたので、さらに同巡査長が、「金子君はどこにいるのか。」と尋ねたところ、右少年が同棟三階の廊下にいた原告を右巡査長のもとに連れてきた。そこで同巡査長が原告に身元を確認したが、その際、右現場周辺には、数人の子供達がおり、また、同棟西側踊り場には二〇ないし三〇名の野次馬が集まっている状態であったので、同巡査らはそこから五ないし六メートル離れた同棟三階東側の本件踊り場の方に場所を移し、事情聴取をすることにした。

2  本件踊り場における職務質問の状況

(一)  本件踊り場において、B巡査長がA少年から、また、D巡査長が原告からそれぞれ事情聴取を行ったが、その際、原告は「A少年と釣りに行く約束でこの廊下まで来たところ、ちょっと待っていてくれと言われたので、その場で待っていた。すると、女の子の泣き声がしたと思ったらA少年が飛び出してきた。どの部屋から飛び出してきたのかは分からない。」というような趣旨のことをうつむきかげんにはっきりしない話し方でD巡査長に申し述べた。

(二)  そこで、同巡査長らは、本件窃盗未遂被疑事件がA少年の犯行によるものとの疑いを強めたものの、相手が少年であることから制服警官が長時間質問するのは好ましくないものと判断し、B巡査長が一階に降り、本件パトカーの無線で亀有署の少年係に応援要請し、その到着を待った。その間、本件踊り場ではD巡査長が一人で二人の少年に質問して、原告はA少年の同級生であり、葛美中学の一年生であること、本件都営住宅の七号棟に住んでいること等を聞き出した。

(三)  同日午前一一時三〇分ころ、亀有署防犯課少年係のE巡査部長とN巡査長(両名とも私服)が本件ライトバンで現場に到着し、一階で待機していたB巡査長に事件の一応の説明を聞いてから同巡査長とともに本件踊り場へ昇った。そしてそれまで一人で原告らに質問していたD巡査長は、右少年係に今までの事情を説明して引き継ぐとともに、一メートル程後ろにさがって右少年係の警察官らが原告らに質問を始めるのを見ていたが、まもなくE巡査部長に被害届の受理をするように頼まれたため、被害届を取りに西水元駐在所に戻った(B巡査長は引き続き本件踊り場階段付近に残っていた)。

(四)  そこで今度は、E巡査部長がA少年から、N巡査長が原告からそれぞれ事情聴取を始めたが、その際の位置関係は別紙図面のとおりであった。原告及びA少年は、右少年係警察官らの質問に対してもそれぞれ従前の供述を繰り返すばかりであったので、一、二分して、E巡査部長は被害者宅に行くためその場を離れ、N巡査長が一人で二人の少年に質問する状況になり、B巡査長及び入れ替わりに被害者宅から戻ってきたC巡査は、その間、N巡査長の質問を後ろで黙って見ていた。

(五)  その約五分後、被害者宅に調べに行っていたE巡査部長は、A少年を呼び寄せ、被害者宅の玄関で再び侵入した事実の有無について質問したところ、同少年は、「釣りに行くジュース代が欲しくて入った、そこにいる女の子が騒いだのでびっくりして何も取らずに逃げた、金子君には外で人が来ないかどうか見ていてほしいと頼んだ。」旨申し述べた。

(六)  E巡査部長とA少年が被害者宅に行っている間は、N巡査長が原告に対し質問するという状況になったが、その際、同巡査長は原告に対し、「どうしてそこにいたのか。釣りに行くということだが、釣り道具はどうしたのか、本当に釣りに行くのか。A少年に頼まれて人が来ないかどうか外で見ていたのか。」等の質問を繰り返していたが、原告は従前と同様の答えを繰り返すばかりであった。また、そのときの原告の応答の仕方は、終始うつむき加減でN巡査長が三回質問するとようやくぼそぼそとはっきりしない口調で答えるという状況であった。

(七)  同巡査長は、このようなはっきりしない原告の応答に苛立ち、原告が同巡査長の質問に答えられないで黙っている時に軽く右手拳で同人の左側頭部を一回ないし二回殴った。

3  本件踊り場から亀有署に至るまでの状況

(一)  しばらくして、E巡査部長がA少年を連れて本件被害者宅から本件踊り場に戻ってきたので、今度は同巡査部長が原告から、N巡査長がA少年からそれぞれ事情聴取を始めたが、同巡査部長は亀有署でさらに詳しい事情を聴取したほうがよいと判断し、三階廊下で事情聴取の状況を見ていたA少年の母親に事情を話してA少年を亀有署まで任意同行することの承諾をもらい、戻ってきてA少年にその旨を告げて同人の了解を得た。

(二)  次に、同巡査部長は、今度は原告に対して住所と氏名を尋ね、さらに「両親は今家にいるのか。」と尋ねたところ、原告は、住居が七号棟であること及びその電話番号を答え、さらに「お父さんは仕事に行っているが、お母さんは家にいる。」旨うつむきながら、小さな声で申し述べた。このため、同巡査部長は、母も在宅していないものと聞き違え、さらに原告に対して「A君は亀有署まで一緒にいってくれるのだけれども、君も一緒にいってくれるか。」と尋ねたところ、原告が黙って下をむいたままうなずいたので、任意同行できるものと判断し、原告の親権者に連絡をとらずに原告とA少年を亀有署に同行することにした。

そして、原告らは、E巡査部長、N巡査長、A少年、原告、B巡査長の順で階段を降りた(なお、C巡査は、本署への無線連絡のためあらかじめ一階に降り、本件パトカーの助手席に乗車していた。)。

(三)  一階に降りると、原告らは、本件パトカーのすぐ後ろに停っていた本件ライトバンに乗車するように指示されたが、そのときの警察官の位置関係は、N巡査長が右ライトバンの運転席に乗り込みドアロックを開け、右ライトバンの乗車口にはE巡査部長が立ち、右パトカーの後方にはB巡査長が立っているという状況であり、原告らは、A少年、原告の順で右ライトバン後部座席に乗り込み、その後E巡査部長が同車の助手席に乗り込んで、現場に右パトカーを残したまま、同日午後〇時ころ亀有署に向って出発した。

4  亀有署における原告に対する取扱いの状況

(一)  本件ライトバンは、同日午後〇時二〇分ころ、亀有署に到着し、原告らはE巡査部長に同署二階にある少年係の部屋まで連れて行かれ、引き続き事情聴取を受けるため、原告とA少年とは別々の補導室にそれぞれ案内された(なお、当時同署少年係の部屋には訴外鬼柳徳係長以下約四名の警察官が在室していた。)。その後、同巡査部長は、A少年から事情を聞くため、他の少年係の警察官にN巡査長が来るまで原告を見ているように頼み、A少年から事情の聴取を始めた。まもなく、N巡査長が原告のいる補導室に入ってきて、同人に再び質問するとともに、一枚の手記用紙を渡して、これに住所、氏名、学校、家族関係及び今日どのようなことをしたのかを書くように指示して右補導室を出て行った。

(二)  その後、原告は、一人で手記を書いていたが、しばらくして今度は氏名不祥の私服警察官(身長約一六五センチメートル、年令四、五〇歳くらいのワイシャツを着た男性)が右補導室に入って来て、原告に対して質問を始めた。そして、同私服警察官が「見張りでもやっていたのか。」と質問したのに対し、原告が黙って下を向いていると、同私服警察官は立ったまま、突然、椅子に腰掛けている原告の左頬部を手拳で二回殴打した。

(三)  その後、E巡査部長は、同署の訴外後藤刑事とともにA少年を別件の窃盗被疑事件につき事情聴取することにしたが、A少年が入っていた補導室が手狭であったため、A少年と原告を入れ替えたうえ、A少年の事情聴取を行った。その間原告は、従前A少年のいた補導室で引き続き一人で手記を書いていた。

(四)  原告が引き続き手記を書いていると、今度は別の氏名不祥の警察官が原告の一〇本の手指全部の指紋と靴型を採取した(その後、二度取り直した。)。

(五)  原告が手記を書き終えた後、E巡査部長は再び原告に事情聴取したが、右聴取の結果、原告が本件窃盗未遂被疑事件に関与していたという確証は取れなかったので、事情聴取を打ち切ることとし、同日午後一時三〇分ころ、原告宅に電話連絡した。

(六)  同日午後二時ころ、原告は、E巡査部長の電話連絡で亀有署に赴いた母好子に引渡され、同女が乗ってきた自転車の後ろに乗って帰宅した。

5  帰宅後の状況

(一)  原告は、帰宅後原告の左頬部(左眼の下)が腫れているのに気付いた好子から理由を問いただされたが、これに答えないまま寝てしまい、夕方起床後に好子から重ねて尋ねられた際に、初めて警察官から殴打されたことを告げた。

そこで、好子は、翌九月八日午前七時二〇分ころ、前日からのタクシー運転の勤務を終えて帰宅した原告の父泰治に、原告から聞いた警察官による殴打とその前後の事情を伝えた。

(二)  これを聞いた泰治は、ただちに一一〇番通報し、警視庁からの連絡で原告方に電話してきた亀有署のE巡査部長に原告方へ来るよう求めた。そしてその直後に原告方に赴いたE巡査部長、N巡査長他一名の警察官に釈明と謝罪を求めたが、同人らは原告に対する暴行の事実を否定し、殴った殴らないの水掛け論に終わった。

(三)  そこで泰治は、原告の受傷の事実を明らかにするため、同日午前中葛飾区の金町診療所において原告を受診させたところ、病名頭部左頬部打撲傷により初診時から約一週間の加療・経過観察を要すると診断された。

もっとも、右診断時、左頬部には腫れと圧痛の症状が認められたが、頭部については自覚・他覚症状は一切認められず、前日左頬部とともに頭部を殴られたとの原告の説明に基づいて一応経過観察のため診断書に頭部打撲傷の病名も掲げたもので、九日後の診断の際も頭部に異常は認められなかった。

6  原告の受傷の程度

原告は、すくなくとも亀有署内の氏名不祥の私服警察官の暴行により、一週間の加療を要する左頬部打撲傷の傷害を負った。

二当事者の主張に対する判断

1  本件踊り場における暴行に関し

(一) 本件踊り場におけるN巡査長の暴行は、傷害を負わせるようなものではなく(この点は後述するとおり。)、また多少離れていたとはいえ同じ三階西側踊り場付近には多数の野次馬が集まっていたことからすると、質問に明確に答えない原告に対し、答えを促すため軽く小突く程度のものと推認される。しかし、そうであっても、原告が当時中学一年の少年であることも考慮すると、違法な有形力の行使といわざるを得ない。

(二)  ところで証人B、同D、同E及びNはいずれも本件踊り場における暴行の事実を否定する証言をなしている。

しかしながら、<証拠>によれば、原告は、本件のあった当日夜好子に尋ねられ警察官により殴打された事実を述べたとき以降、翌八日金町診療所で受診した際、またその直後本件訴訟代理人に相談し事情を説明した際も関係者に対し一貫して本件踊り場における警察官による殴打の事実を述べ、本法廷においてもこの態度は変わっておらず、原告の供述は十分信用するに値するものであり、これに反する前記各証言は信用できない。

(三)  被告は、右殴打の回数が<証拠>(原告作成の昭和六一年九月九日付陳述書)では「一パツか二ハツぐらい」と記載されているのに本法廷においては二回と断定していることの矛盾を指摘するところ、なるほど事件後約三年を経過した後の原告のこの点に関する供述は、後になって不正確な記憶形成がされた可能性もあり、二回という回数は必ずしも採用しうるところではないとしても、殴打されたという申述自体が一貫していることは前記のとおりであって、被告指摘の点はこの点の信用性まで疑わしめるものではない。

(四)  もっとも、<証拠>によれば、原告は前示のとおり本件の翌日泰治からの通報により三名の警察官が原告方を訪れた際、右殴打の当事者であるN巡査長を前にしながら、泰治からどの警察官に殴られたのか尋ねられても答えず、警察官が帰ってから漸く泰治に本件踊り場で殴打した警察官が三名のなかにいた旨伝えたことが認められるけれども、右のような特殊な状況下であることや原告が当時一三歳の少年であったことを考慮すれば、原告の右態度はなんら異とするにあたらない(本件当日の警察官に対する対応をみても、原告が警察官を前にしてはっきり物を言うことのできる性格ではないことが窺われる。)。

(五)  さらに被告は、金町診療所の医師の作成した診療録(<証拠>)に、顔面の略図が書かれ、その左頬の部分と被告の表現によれば「左眉毛の上」の二か所の部分に印が付けられたうえ「なぐられた」と記載されている点をとらえ、原告の主張する「左頭部」と右診療録の「左眉毛の上」とが異なる部位であるとの前提に立って、原告本人、好子及び泰治の供述の信用性その他を云々するが、右診療録及び<証拠>(診断書)、<証拠>(診療申し込みカード)全体を総合してみれば、診療録作成者が「なぐられた」として図示しようとした部位が左頭部であることは一見して明らかであり、被告の右前提に基づく議論はすべて採用の限りでない。

(六)  なお、<証拠>には、本件当日夜及び翌八日の時点において原告の左頭部に瘤ができていたとする部分があるが、同人らが本件後間もなく作成した陳述書(<証拠>)では、左頬部の腫れあるいは痣に言及しておりながら、この瘤については全く触れられていないこと、前認定のとおり八日午前中の金町診療所における医師の診断の結果では頭部になんらの異常も認められなかったことに照らせば、瘤に関する右各供述部分は、本件が訴訟となった後に意識的にかあるいは無意識のうちにか暴行の事実を誇張して述べるものと解せられ、採用しがたい(とはいえ、瘤が生じていなかったという事実が暴行の存在それ自体を否定するものでないことはいうまでもない。)。

2  亀有署への同行について

(一)  E巡査部長らが現場での原告らからの事象聴取の結果、未だ原告が被疑事件に関与している疑いが残っていると判断し、また、現場付近に野次馬が多数集合してその場で事情聴取を続けることが相当でなくなっていると判断し、亀有署に同行を求めたことは、前記した当時の状況下においては、警察官としての当然な職務行為であったと認めることができる。

そして、右状況下で亀有署への任意同行に承諾を求めたE巡査部長らの要請に、原告は、内心の意思とは別として、積極的には反対していないのみならず、うなずいて承諾の意思を消極的には表示したことは前記のとおりである。確かに、当時、原告は、既に軽くではあるが、警察官に殴られていたため、相当な恐怖心を抱いていたことは容易に推認されるが、強制的に同行を強いたことを認めることのできる証拠はないので、承諾して同行に応じたものである以上、この点について違法性はない。

(二)  ところで、<証拠>によれば、本件事件当時、原告の母好子は原告宅に所在していたことが認められるところ、E巡査部長らは、A少年については亀有署への任意同行に際し保護者の同意を得ていたのに、原告については母好子の承諾を得ていない。この点について、被告は、原告から父も、母も家にいないと聞いたので同意を得なかった旨主張し、証人E及び同Nも同旨の証言をしている。確かに、原告が母の在宅を隠さなければならない事情は認められないから、原告は母の在宅を正直に話したものと認められるが、一方、前記したように、原告はうつむきかげんにはっきりしない話し方で応対していたため、E巡査部長らが原告の回答を間違って理解したものと認められる。そうでないと、A少年については、事情聴取していた場所の近くであったこともあろうが、任意同行につき保護者の同意を得ているのに、七号棟に在宅していた原告の母の同意を得なかったことの合理的な説明ができないからである。

してみると、亀有署への任意同行は、正当な行為であったと言わねばならない。

3  亀有署における暴行に関し

(一)  <証拠>によると、昭和六一年九月八日には原告の左頬部に腫張(青痣)があったことは客観的に明らかである。そして<証拠>によれば、右痣を、同月七日夜にはA少年の母が、翌八日朝にはE巡査部長ら亀有署の警察官、高橋葛飾区議も確認していることが認められる。

(二)  被告は、この痣が亀有署から原告の母親に引き取られた後に生じたものと主張する。確かに、<証拠>によれば、原告の母好子が原告の傷に気づいたのは自宅に帰宅してからであったことが認められるが、青痣が顕著なものでなければ容易には気がつかないこともあり得るので、右事実をもってしても、亀有署退出時に青痣がなかったことを推測されるものではない。前記認定した事実経過によれば、原告の青痣を亀有署での事情聴取当日の夜、A少年の母も確認しているというのであるから、痣がその時点までに発生していたことは明らかである。

そして、以上のような諸事情を総合すれば、<証拠>は、十分信用することができる。

(三)  したがって、亀有署における氏名不祥の警察官による暴行が違法なものであることは明らかである。

4  指紋等の採取に関し

前記したように、原告は、亀有署内で指紋と靴型を採取されているが、本件諸事情の下では、右採取を正当化することはできず、違法なものであったと言わざるをえない。

三被告の責任

被告は、N巡査長が亀有署所属の警察官であることを明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。また、前記認定の経過に照らすと複数の氏名不祥の私服警察官が亀有署所属の警察官であることが推認される。そして、N巡査長及び本件氏名不祥の警察官の原告に対する各暴行並びに本件警察官らの違法な指紋等の採取はいずれも警察官がその職務を執行するについてされたものであるから、被告は、国家賠償法一条一項により、原告に生じた左記損害を賠償すべき義務がある。

四損害

N巡査長及び本件氏名不祥の警察官の原告に対する各暴行並びに本件警察官らの違法な指紋等の採取によって、当時中学一年生であった原告は多大な精神的苦痛を被ったものと推察される。そして、右原告の精神的苦痛を慰謝するには金三〇万円が相当である。

五結論

以上によれば、原告の本訴請求は、金三〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六一年九月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条ただし書を、仮執行の宣言及び仮執行の免脱宣言につき同法一九六条一項、三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官田中康久 裁判官三代川三千代 裁判官東海林保)

別紙<省略>

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